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先輩たちの今

本島 義輝くん

九州大学 理学部化学科 2回生
東進 大牟田有明町校OB
山下 拓海くん

今、受験勉強をしている人は、
自分の考えに固執せず、
素直に人の意見を聞いてほしい。

“生意気”だった高校時代

憧れの先輩がいたこともあって明善高校を目指していましたが、全然勉強していなかったので、親にすすめられて中3の夏から能開に通い始めました。中3の時、クラスであった「いじめ」がきっかけで心理学に興味を持ち始めたんですけど、理数系が得意だったので、母から「医学部の精神科ならしたいことができるんじゃない?」と言われ、医学部を目指すようになりました。だから高1の頃は、第一志望が山口大の医学部でした。
能開の担任は古賀先生だったんですが、僕たちが高校進学の年から東進に行くことになり、明善の友達も東進に通っていたので、東進に行くのに違和感はなかったですね。高校時代はすごく生意気で、周囲のアドバイスをほとんど聞かず、基礎をとばして上級数学をとったりしていました。

本格的に受験を意識し始めたのは高2の秋頃。高校時代は音楽部に所属してて、高2の夏に全国大会で京都に行ったんです。街の雰囲気も良かったし、その年から、京大の教育学部に理系枠ができて、医学部じゃなくてもしたいことができるかもしれないと思い、京大に行きたいなと思って(笑)。

緊張で、まさかの全滅

高校の先生は、本人が志望校変更を言い出さない限り第一志望校を押すという方針だったので、模試判定は厳しかったけど、京大を受験しました。センター試験は、12月に受けたセンター試験本番レベル模試より全体的に点数が落ちてしまい、京大の試験1日目は朝食も食べられないほど緊張してしまって、梅干し2個だけで試験に行ったんですが、やっぱりだめで。あと、リハーサルのつもりで受けたA判定の同志社も落ちたんですよ。結局全滅で、もう1年頑張るしかないなと。

再チャレンジを東進で決意

妹がいたので親に負担をかけたくなかったし、他の予備校なら学費免除という話もあって、東進を続けるかどうか迷いました。でも、東進の先生でないと京大は難しいと思ったし、親に「行きたい方に行きんさい」って言ってもらったこともあり、東進に行くことに決めました。大好きな長岡恭史先生の授業をもっと受けたかったのが一番大きな理由かな(笑)。

浪人時代はGW前後が一番きつかったです。その頃、夢見たんですよ。横幅が広くて長い階段を一人で昇ってたら、小4までいた山口の友達が一緒に上り始め、大牟田に来てからの友達も加わり、その中で自分だけ足が動かなくなる夢なんですが、凄く怖くて泣きそうになりました。これがきっかけで、とにかく勉強に集中しようって思いましたね。それと、古賀先生や他の先生方と話すことでも気持ちが楽になりました。

浪人の時、「現役より上でないと」っていう変なプライドがあって、本音は京大に行きたいくせに、九大医学部でなきゃっていうジレンマがありました。全体的に気負い過ぎてたこともあり、8月くらいまでは成績が下がっていきましたね。その時母から「真剣に考えるのはいいけど、深刻に考えなさんなよ」と言われて、そこから楽になって、成績が上がっていったと思います。

現役より点数を伸ばし九大理学部に合格!

2回目のセンター試験でも、現役の時みたいに、センター試験本番レベル模試では9割取れてたのに全体的に点数が落ちてしまったので、医学部は無理だと思い、九大理学部を受けたんです。点数自体は現役の時より上がっていたので不安はなくて、「ほら、やっぱり合格」とあっさりした感じで。家族ものんびりしてました(笑)。
合格を実感したのは大学1年目の夏休みかな。親戚のお兄ちゃんが釣った魚を炭で焼いてる時。それまでは「勉強するから焼けたら呼んで」と言ってたのが、焼けるのをただじっと待って脂が滴るのを見つめる。その瞬間に「合格したんだぁ」と実感が湧きました。

「勉強」することで「出会い」が広がる

今東進で担任助手をしているんですが、生徒一人ひとりにこんな時間を割いてたんだと驚いているし、教職も面白いと思うようになりました。古賀先生は中3からずっと一緒なので、じんわりとなんとなく安心できる存在でしたね。特に浪人の時は自分で考える機会を与えてくれました。
そのまま現役で合格してたら、何も考えずに好き勝手やってたかもしれません。友達の中にも、浪人してよかったと思える人もいれば、浪人して来た方が良かったんじゃないの?と思うヤツもいたり(笑)。でも、九州に限らず全国から人が集まってるので、高校時代よりも世界が広がりましたね。

「勉強」って「出会い」だと思うんです。最初は嫌々だった勉強が楽しくなる瞬間があるんですけど、それってきっと教えてくれてる先生、あるいはその理論や公式を考えた先人の方の考えに触れることができた瞬間だと思うんですね。場合によっては何千年も前の賢人に出会うことが出来るんです。また、こうやって大学に来ると、いろんな教授の話を聞けたり、他の都道府県や、場合によっては他国の友達が出来る。でも、勉強がないとそういうチャンスがこないんです。
いろんな人に出会い、いろんな考え方に出会っていく。それが何に繋がるかっていうと「自分磨き」みたいなもんだと思うんです。なんで自分を磨くのか?周りの人に笑っていてほしいから、ですかね(笑)。

今、受験勉強をしている人には、素直になってほしいと思います。自分の考えに固執せず、人の話を聞いてほしい。話を聞いても勝手な解釈したり、自分には関係ないって思うことが結構あると思うんですよ。でも、こういう意見もあるんだっていうのは知ってほしいし、それに対して、自分がどんなアクションをするかってことを考えてほしいなと思います。

東進担任からのメッセージ 東進衛星予備校 大牟田有明町校 古賀先生

山下くんの現役時の課題を考えると、東進にしか答えはなかった。

山下くんの学年はレベルが高く、頑張った生徒が多いんですが、彼の場合、中3時は、並かそれ以下の成績だったかもしれません。高校の前期入試がだめで悩んでた時、「どうするかは自分で決めろ」って言ったら、「じゃあ受けます」って言うので、「じゃあ頑張れ」みたいなレベルだったと思います。
高校に入った時に私も東進に行ったんですが、色々うまくいかないことがあった中で、最後まで残ってくれました。でも、全然言うことを聞かなくてね。「俺は知ってます。俺はできます」みたいなオーラを出してましたよ。まぁでも、誰でもそういう時期がありますよね。高3になって、成績は問題なかったけど志望が高かったので、現役ではどうかなっていう話をしてたんですが、現役で全滅してちょっと目が覚めたんじゃないかなと思います。
高卒になってからは印象が大きく変わり、素直に言うことを聞くようになりました。本当は医学部に合格させてやりたかったんですが、余裕を持って九大に合格できるようになったのは、素直さが一番の要因だったんじゃないかと思います。
今でも思い出すのは、どこで浪人するのかという話をしてた時のこと。最終的には本人やご両親が話し合って決めるべきだと思っていたので、あまり言わなかったんですが、3年間信用して預けていただいていたので、責任も感じてました。それで、最後になるかもしれないと思いながら、不合格の原因や今後の課題を考えれば、他の予備校にはその答えが無いということを、お母さんにお話しさせていただいたのがきっかけで東進に来てくれることになったんです。
もしかしたら、もっと上に行けたかもしれませんが、選択の先の人生だし、今彼が良かったと思ってくれているなら、頑張ってよかったと思います。

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